Profile 

Healing Design & Percussion
ヒーリングデザイナー / パーカッション奏者
Hideyuki Tomii
長野県生れ。大阪芸術大学環境計画学科、東京デザイナー学院・ビジュアルデザイン科にてそれぞれに都市・建築デザインとグラフィックデザインを学び、ディレクションを冨山貴史氏に学ぶ。
高校在学時よりパーカッションを始め、独学にて打楽器奏法、作曲法を修得。以後ラテンパーカッション、ドラムス、打楽器奏法を北野晃一郎(圭威秩)氏に、囃子の基本を福原流家元福原鶴祐氏に師事。渡米してスチールパン(スチールドラム)をカリフォルニア芸術大学 Dan Savell 氏に師事。Robert Greenidge、Boogsie Sharpe氏の奏法スタイルを学ぶ。
'95年からIC(フリーランス)奏者としてラテン、ジャズ、クラシック、フォルクローレ、邦楽など民族系音楽からアンビエント系までジャンルを問わず、オーケストラ、ジャズバンド、オペラ、舞台演劇、TV出演の他、様々なアーティストとの共演やレコーディングに参加。ラジオ番組のコメンテーター、講演、海外や全国各地の幼稚園、保育園、小中高等学校での音楽観賞会などステージ出演多数。
「自己表現の基本はimprovisation(インプロビゼーション)」を信条としたスピリチュアルな演奏スタイルと、大勢を一瞬にしてリズムの世界に巻き込む、エネルギッシュな即興セッションには定評がある。
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History
'85年より東京、横浜にてグラフィックデザイナーとして大手銀行SP、博物館やオフィスデザイン、エディトリアルデザインなど各方面で作品を製作。
'90年、アマチュア時代に芸術文化使節派遣により、オーストリア(ウイーン)、ハンガリー(ショプロン)などヨーロッパ各地で民族音楽(邦楽)を公演。
'91年、インドネシア・バリ島でのガムラン研修をきっかけに、POMCパーカッションアンサンブルを結成して音楽活動を開始。
'92年、デザイン会社「Tom Graphic」社を設立。
'94年、文化庁とNAOC派遣により、ノルウエー/リレハンメル・冬季オリンピック文化プログラムで邦楽パーカッション演奏とステージ演出を担当。('98年、長野オリンピック文化プログラムも参加)
'95年、医療音楽の研究と臨床実践を開始。演奏家セラピストとして、医療福祉施設、教育現場などで定期的なボランティアを積極的におこなう。
'99年、出身地の長野市「メルパルクNAGANOホール」にて初リサイタル。また同年、心のデザインをテーマにメディカルミュージックを提唱。POMCプロジェクトを開始。
'02年、ハワイ・マウイ島にてヒーリングセミナー。各地でヒーリングに関する講演、ワークショップやコンサートを開催。
同年、医療・健康と音楽の関わりを普及する市民団体、NPOインターナショナル ミュージック バイオ ウエーブを発足。自分を表現することの素晴らしさ、夢を持つ喜びを伝えながら、医療福祉の音楽活動支援、ヒーリングとアートの相互発展に力を注ぎ、ワークショップや講演活動を通して、障害を持つこども達や高齢者の心の支えとして大きな役割を果している。
'04年、信州の高原に、パーカッション工房&スタジオ「トリニダードハウス」を設計・建設。
'05年、キッズパーカッションプロジェクトなどのNPO活動に対して、One by Oneこども基金よりNPO奨励賞を受賞。
'07年、panyaとしてJAZZスチールパンLive活動をスタート。
 NPO International music bio wave 事務局CEO・理事
 POMC ENTERPRISE Co,. 代表
 POMC Percussion Ensemble“Drumpan.com”主宰
ソロ活動状況・作品
実施している医療現場での音楽活動(療法的音楽活動)の一覧
プロフィール / プリント印刷用
音楽以外の活動については→Hideyuki Tomii 公式サイト
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2002 Percussion & Hearing Mental Design HIDEYUKI TOMII

プロフィール(2)まったく個人的...  

●子供のころ

☆広告の裏が大好き☆ 小学生まで、未来の乗り物や基地を描くことが大好きで、毎日、折り込み広告うらに絵を描きまくっていた。それはまさに精密な設計図。エンジニアを気取っていたのかもしれない。サンダーバードの熱心なちびっ子ファンのひとりだったからか?(大人になるまで番組がカラーだったとは知らなかった)教科書もノートも文字より絵が多かった。空想に浸りながら、現実のようになっていく絵がとても好きだった。

☆劣等生☆ 学校は好きだったが、給食の時間は恐怖の時間だった。午後一の授業はいつも残って食べていた。掃除の時間も食べていた。というより必死に飲み込む作業をしていた。そのせいかどうかはわからないが、勉強はさっぱりどうも……。特に算数は苦手になってしまった。周りの友達は問題が解けるのに、どうすれば答えが出るのかすらわからなかった。はじめて自分でも吃驚したのが、中学3年生になってなるまで分数の意味すら知らなかったことだ。割算のことだって知らなかった。

☆劣等挽回☆ 数学がダメなのに、理科はいつも好成績だった。宇宙や天文、ロケット開発の話や新幹線開発の話など大好きで、同じ本を何度も何度も読んだ。図書館にあるノンフィクションとSFはほとんど読んだ。一つの得意科目を持つか、勉強がダメなら学業以外で得意なこと持とう!が自分との合い言葉だった。だから打ち込んでいたことといえば、発明や創意工夫でものを作ること。でも手先が器用ではなかったので、粗雑品ばかり作った。男の子らしく模型製作も大好きだった。紙飛行機の滞空時間を競う大会に出たりしたが、不器用で今ひとつ丁寧に作れないので飽きるのも早かった。科学者ぶって研究するのが大好きな時もあった。中学生の夏休みは宿題を全くしないで、個人研究に勤しんだ。今でこそ田中康夫長野県知事の「脱ダム宣言」のお陰で全国にもその名が知られた「浅川」という川を毎日調査と観察・・それを4年間も続けたのだった。確かそのとき子供ながらにダムなんて要らない!と感じていた。長野の山や住んでいる地域のささやかな自然の中で、思いっきり遊んで過ごしたので、自然環境を保護することにはあたり前のように関心を持っていた。だから、コンクリートの河床や改修工事にも生態系の観点から疑問を投げかけたりもしたが、政治的なことは考えもしなかった。研究の成果はそれなりに出て、全日本学生科学賞・県最優秀賞とか、水質調査の機器製作で全国発明工夫展入賞とかの評価をもらった。勉強はさっぱりだったので、こういうところでクラスの秀才を見返していた?のかな。三度の飯より……とよく言うが、まさに食事なんかしなくても平気で打ち込んでいた。さすがに白衣は着なかったが、子供部屋にはアルコールランプやフラスコが並んでいた。

☆追記☆ いつかNHKテレビで見た「コスモス」は強く焼き付いた。自分のやっている環境研究に関係することと壮大な宇宙をさらっと関係付けて、宇宙を身近にしてくれた恩人、カール・セーガン博士の影響はいまでも生きている。

☆人前では赤面症☆ 音楽はあまり得意じゃなかった。小学1年生の全校音楽会、「おうまのおやこ」冒頭のウッドブロックのソロは、顔から火が出るほど恥ずかしくてイヤだった。今思えばパーカッショニストデビューだったのに……。音楽会のシーズン、音楽の授業は苦痛であり、テレビの歌番組もほとんど興味なかったどころか、のど自慢や家族対抗歌合戦などの番組は、人の演奏を聴くと自分のことのように恥ずかしくて、テレビの前で耳を塞いでいたほどだ。(でも歌謡曲は大声で良く歌っていた気がする。)

☆きっかけ☆ 小学5年生の時、放送委員になったのをきっかけに、放課後ひとり、色々なレコードを放送室でかけては聞きまくった。クラシック音楽、特にオーケストラが好きになる。めったにコンサートなど来ない長野に無料コンサートがやってきた。山本直純氏のあの番組、オーケストラがやって来た!だ。はじめて聞くオーケストラの演奏と直純さんの派手な指揮に魅せられ憧れた。中学でも放送委員をやった。しかしそこにあったレコードはポップスだった。だからクラシックとポップスを足して2で割ったような、イージーリスニングオーケストラ、つまりポールモーリアとかレーモンルフェーブルのようなヨーロッパスタイル、それにヘンリーマンシーニなどなどハリウッドの音楽を良く聞いた。そのころ我が家でも、父がようやく4チャンネルステレオなる音響機器を購入し、ラテンや映画音楽集などを毎日何度も聞いて楽しんだ。でもその時は演奏するほうを楽しむなんて考えもしなかった。

☆転換期☆ 中学3年、卒業間近のころ相変わらずの科学少年だったが、はじめて学校の吹奏楽部の演奏を聞いた。不思議だったのは、同じクラスにもたくさんのブラスバンド部員がいたのに、吹奏楽なんていう部活動があることを、3年間知らなかったことだ。楽器の音くらい聞こえていただろうに、興味がなかったからだろうか?でもその演奏を聞いてスグ、高校では吹奏楽をやろう!それもパーカッションだ!と決めていた。あまりにも同級生がカッコ良くプレイしていて、違う人にさえ見えたからだ。そしてそれはスネアドラムだった。高校入学ののち、ブラスバンドの虜になっていったのは言うまでもなく・・・科学少年はいつの間にか音楽少年になっていた。ただ、授業の音楽の評定は2〜3、リズムのテストに至っては0点!をいただいた。先生の方がおかしい!と思ったものの意見を言う自信もなく、こん畜生〜!(ほどでもなかったが)と見返しパワー全開で、作曲やスコアの読み方を覚え、当時80名の大所帯であった吹奏楽部では、いつのまにか先生を退けて指揮棒を振っていた。進路の事を考えて美術部にも席を置きながらであったが、高校3年間は全身全霊で吹奏楽に打込んだ日々だった。

☆スピリチュアルな体験☆ 今でも鮮明に覚えていることがある。中学3年生の学校の帰り道、いつもの友達3人と話ながら歩いていて、誰かの「大人になったらどんな職業につく?」と質問があったのを受けて、私はとっさに職業名が浮かばず、「社会の役に立つ人間になりたい!」と答えたのである。あまりにも立派すぎて自分の言葉ではないような気がして吃驚したのだが、その言葉を放った後でとても清清しい気分であったのを思い出す。あれはまぎれもなく「私」の言葉だった・・。

そしてもう一つ、小学校から高校までずっと、担任になった先生は、いずれも理科の先生だったこと。きっと必然だったにちがいない。これが私の学生時代だ。

2002 Percussion & Hearing Mental Design HIDEYUKI TOMII

音楽に関する活動... 
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音楽活動
主な公演先
オーケストラ、JAZZバンド、南米フォルクローレ、邦楽、合唱など様々な演奏団体への演奏参加や舞台演劇ステージ、TV(日テレ/日本アカデミー賞授賞式ほか)等に演奏出演。'99年メルパルクNAGANOにて初リサイタル。'07年から、スチルパン奏者 "PAN-YA"としてもソロ活動中。
オーストリア・ウイーン楽友協会ホール(ムジークフェライン)ハンガリー・ショプロン歌劇場ノルウエー・リレハンメル市・マイハウゲンホール 他での海外演奏。
インドネシア・バリ島 /ハワイ・マウイ島などでワークショップ。
このほか、CA, パームスプリングス、ロサンゼルス、東京国際フォーラム、東京ドーム、長野オリンピック各競技場(白馬ジャンプ競技場/エムウエーブ/ホワイトリンク/選手村/スポンサービレッジ/セントラルスクエア表彰式会場ほか)、幼稚園、保育園、小中高等学校、養護学校、病院、福祉施設、ホテルのディナーショー、JR駅広場、国立自然公園、スキー場ゲレンデ、歩行者天国まで様々な場所で活動・・。

医療現場での音楽活動(療法的音楽活動)の一覧
Hideyuki Tomii 公式サイトへ
主な活動(抜粋)
 POMCパーカッションアンサンブルにて全国各地での演奏多数。サルサバンド「ラ・デヴィシオン・デル・スール」のパーカッション奏者、阿達彰義氏、海沼正利氏、北野晃一郎氏、THE GOOD-BYギター奏者の曽我泰久氏など共演。
 東京佼成ウインドオーケストラ北野圭威秩氏率いるパーカッショングループ「BUDMS」ではアートディレクションを担当。
 倉沢信子アルパ(インディアンハープ)トリオメンバーとしてパーカッションを担当。20周年コンサートにてケーナ、サンポーニャの岡田浩安氏ほかと共演。
 海外公演のために結成された、現代邦楽合奏団「濤」で和太鼓&パーカッションを担当。
 音楽療法活動の一環として、ジャズピアニスト佐藤允彦氏による即興演奏ワークショップ主催をきっかけに、アーティストと医療福祉を結ぶNPO International Music bio Wave設立。
 病院・医療施設、養護施設、老人健康保健施設など10ケ所にて、身体障害、精神障害者、知的障害、難病児、要介護高齢者の音楽ディレクションと、自らの研究セッションを定期的に実践している。実践している医療音楽活動(療法的音楽活動)の一覧
 U.S.Aにてスチールパン(スチールドラム)をDan Savell氏に師事。Robert GreenidgeBoogsie Sharpe氏の奏法スタイルを学び、PAN-YAとして演奏活動。
 スチールパンプロジェクトDrumpan.comをスタート。
主な作品
1978年/ 打楽器のための4章 op.1 7part Percussion 5'30"
1980年/ 打楽器アンサンブルの為の交打奏曲「那由他」 6 Percussion&2 Flute 7'00"
1981年/ ティンパニの為の協奏曲 6 Percussion&Timpani 8'00"
1982年/ パーカッションアンサンブル組曲「アルファルド」 4 Percussionist 10'30"
1993年/ 「EXHIBISION」1〜3 
       声明 邦楽器 パーカッション
Shomyo & Shakuhachi &21gen-Koto & Percussion 37'00"
1999年/ ソロドラマーの為の「EXHIBISION」 18'30"
2005年/ スチールパンをエンジョイ!(ソロ&コンボ曲集) スチールドラム初心者シリーズ


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