Percussion & Healing Design HIDEYUKI TOMII from Japan 2003.11.3

Column 1

即興演奏・アドリブ考

 コンサートが終わると聞いていた人から「よくあれだけいろいろ思いつきますね。手が勝手にうごくのですか?」とか「自由にやっていてよく他人と合わせられますね」などと感想を言われる。単純にルールにのってプレイしているからだと答えると、そーなんだあ〜と返ってくる。デタラメではないことは見ていて感じても、湯水のように自由に湧き出る即興演奏は不思議に思う人が多いようだ。

 ところで、計画性のある“デザイン”(楽譜などデザイナーから見ればまさにシステム化された符号、グラフィカルなデザインの作品だ。)と一見無計画な“即興”……しかしこの両者が生まれるときには“イメージ“と“インスピレーション”というこれまたなんとも掴み所の無い、宇宙的世界が共通して存在する。作った時間に違い(過去完了と現在進行)があるとか、単純に右脳と左脳の働きの違いさ……と言いたいところだが、それをはるかに超えた「何か」に強く心を引かれるのはアーティストなら誰でも思うところではないだろうか。

 以前私は即興演奏をなんとなく軽蔑していたこともあった。オーケストラで演奏することが大好くなアマチュア時代、シェーンブルン宮殿の庭園のようなシンメトリーの美しさこそ心地のよいものだ……なんて思ったりもした。その実、桂離宮の日本庭園にこころひかれていたのだが、おじんくさいとか勝手な理由をつけて目をそらしていたような氣がする。ある時、即興ってひょっとしたら無秩序じゃなくて、整然と美しいものでは? いや混沌の心地よさ? もしかしてデザインの神髄なのかも?!……そこから私の旅がはじまった。

 演奏をしていて、即興がみごとにデザインされている時、自分だけの世界から飛び出て、一緒にプレイしている仲間達との信頼にはじまって、会場の客、楽器や会場つまり自分以外の“もの”とリンクできる符号を手に入れて、自由に旅をするような感覚を体験する。相手の脳や魂と光ファイバーより太い回線でリンクするような感覚だ。一瞬にして相手の動きが読める武術のようでもある。ジャズミュージシャンが良く口にする言葉に「ジャズは格闘技だ」がある。磨かれた感性とテクニックを持った者同志がリンクすると最初「うぉ!くそ!すげえ!う〜ン!おっと!やばい!どーだ!すごい!いいねー!(きたない言葉ばかりじゃないが文字にするとこうなってしまう)」なんてやりとりになってくる。でもこれはまだ浅いリンクの状態で、より太く確かなものになってくると今度は「無」の境地に近づく。無我夢中になるわけだ。無には時間的観念もないから過去にも未来へも行ける。ただ今が“ある”だけになるのだが、相手の行動を先読みしてしまうようなことも起こってくるのだ。感覚も妙に鋭くなったりする。ひょっとして自分も他人も周りの環境も同じくしてしまう壮大な叡智や宇宙があるかも、そんな気がしてくる。(気がするだけで見たことが無い)

 誰でもできそうでなかなかやる人がいない。決して出来ないわけじゃないのに「やらない」と決め込む人もいる。だけど即興はホントにだれでもできることなのだ。想像力を働かせて創造力を発揮すれば、だれも皆すごいことができることに気付くだろう。最後に、パーカッションはだれにでもできる。だからこそ楽しいんだよね。2001.4.28

Column 2 Percussion

パーカッションについて

 “Percussion”日本語の辞書にはなぜか「打楽器」となっている。打つ楽器?ほんと?だって振るのも擦るものあるじゃないか!もっと屁理屈言えば、ほんとに楽器なの?どう見ても楽器とは見えないやつも、楽器屋さんに売っていないのもあるぞ!

 「太鼓とかシンバルとかティンパニとか、打つ楽器のパートをパーカッションと言んだよ。」なんて学校で教わったりもしたが、この「打つ」という言葉が少々やっかいだ。私がパーカッションの楽しさを子供や大人に伝えようとして、「さあ、パーカッションをやってみよう!」と言うと、九分九厘バチ(スティック)を手にしようとするか叩くことを自然にやっている。太鼓の面を擦るとか、吹いてみるとか、振ってみよう(ちょっと重い……)なんてことする人は極々稀だ。「じゃあ太鼓で風の音を表現してみよう!」と誘っても、やはりドンドンドンとバチを手に持ち叩いている。子供はちょっと立ち止まって「なにかちがうな〜」と感じるようだが、大人はリム(太鼓の縁)を叩いたり、細かく振動してみたり……「う〜ん、上手に打てない」と相変わらず「打つ」ことと「上手に演る」から離れない。

 パーカッションは本来、衝撃とか衝突の意味だ。物理学者などよくこの言葉を口にしている。宇宙のはじまりの話にもパーカッションという言葉がしばしば出てくる。まあそれはともかく、楽器としてとらえた場合、立ち上がりの音がぼわ〜っと不明確なものやサステインが長いものもたまにあるが、ほとんどのパーカッションインスツルメント(打楽器)はインパクトの瞬間に発音しすぐに減衰する。だから特にリズムを表現するのに適しているわけだ。リズムを表現するには「打つ」ことが一番相応しいので、素手にしろバチを使うにしろ叩くなどの「衝突」動作が一般的なのだ。骨格の細い人種と木や竹を叩く種族はバチを多用し、頑丈な手を持ち皮を張った楽器が主な種族は素手で叩く。

 もちろんこれだけが理由ではないが、日本人はバチを使うことが多い。DNAの仕業かな?と思うこともあるが、一番やっかいなのは「概念」だ。概念の枠から一歩出てみると、そこには「可能性」が広がっているし、パーカッションは可能性を広げてあげないと単調で退屈な打楽器になってしまう。

 ある人が詠った。「太陽の昇る音、沈みゆく時の音、季節の移り変わる時の音や、大宇宙の惑星が回転する時の音……。そんな聞こうにも聞くことの出来ない“音”を聞きたかったがゆえに音楽は誕生した!」その聞きたくても聞こえない音を現したいと願った結果の、人類最初の発明が音楽だと言われている。音楽することはなにかを表現をすることだ。音楽の中にあって、パーカッションほど心や魂、大自然や生命の素晴らしさをダイレクトに表現できる楽器はない。それもそのはずで、打楽器の多くは自然そのままの形をしている。人間が人工的な手を加えたとしても、楽器と呼ぶ程でもないような単純さがある。その反面奏法が無限大にあるから、扱う人次第で何にでも変化する。

 自然、生命、宇宙を表現できる楽器だなんて、ひょとしてカラダ全体を使って感じてみたらパーカッションを通して宇宙のことが見えてくるかもしれない。「打つ」ことから離れて……。2001.4.28

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